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ワード文書整理してたら前に書いたこんなもんが出てきたので
2006年最後の更新としてUPしてみようかと思います。
とっても真面目に不真面目。
タイトルどおりの内容なので(ネタだけど。)読みたくない人はスルーで。
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私は常々、光ちゃんはMだと思っている。
どSとか、S王子とか言われてるけど、それは間違っているんじゃないかと思う。
たしかに、Sっ気が無くはないだろうけど、
でも、光ちゃんは絶対にM。根底に根付いてるのはマゾヒスト。
同じく、剛くんはSだろうと思っている。
「しんどい」で『基本はM』って言ってたけど、それは違うんじゃないかと思っている。
多少M願望があるんだろうけど、
でも、剛くんはS。絶対に持って生まれた性質はサディスト。
ひとまず「虐めることが好き」という大前提は置いておき、Sであるための条件として、
①否定されることが大嫌い
②基本ポジションは突っ込み
③場の全体を把握している
ということが挙げられる。
これらは独立した持論のようでありながら、①故に②、②故に③という関係になっていることが
お分かりいただけるだろうか。
つまり、否定されることを嫌うからこそ正論を以って相手を制す『突っ込み』という立場になるのであり、
『突っ込み』という立場だからこそ場を把握し、
何かあればその都度己の主張を展開出来なければならないのである。
また、SあるところにMあり、ということは(経験上)かなりの確立で間違いない。
これらはお笑いの世界に目を向けると比較的理解しやすい。
その典型といえるのがダウンタウンであり、
逆の意味でこの傾向を顕著にしているのがロンドンブーツである。
ダウンタウンはどS
番組を取り仕切ることが常となっている。
また、相方である松本をコレでもかと叩く。
松本はそのスタイルを全く拒否しない。
「いや、それはボケと突っ込みだから」とおっしゃる方もいるかもしれないが、
あのような極端な関係に至るにはもともとの性質としてかなりの噛み合いが必要になる。
長年コンビとしてやってゆく中で、「叩くことが平気な人」と「叩かれることが平気な人」という
下地があったからこそあのようなスタイルが出来上がっていったわけだ。
逆説の典型ロンドンブーツは、淳がボケ、亮が突っ込みだったらしいが、S性とM性は
それぞれ逆だったために今は完全にその立場が入れ替わるというこれまたわかり易い状態になっている。
また、前者にはナインティナインも属し、後者には品川庄司が続く。
以上のことから、コンビであった場合、
上記①②③の条件に当てはまるのがS、当てはまら無いほうがMという考えの下論じてゆこうと思う。
これらの状況をKinKiKidsに当てはめた場合どうなるか。
まず、「否定されることが嫌い」について、これに当てはまるのはどう考えても剛くんのほうである。
そもそも、剛くんの相槌には否定が多い。
「オマエ○○やん」などと話を振られた場合に、とりあえずまず「いや、」から入ることが非常に多いのである。
「いや、逆に…」
「いや、俺より…」
「いや、ちゃうちゃう。」
また、気に入らなかったら相手(主に光ちゃん)の話を遮る。
過去のバラエティを思い出していただきたい。
剛くんの話が剛くんの手を離れてネタにされたことが一体何度あっただろうかと。
無い。
ほぼ無いのである。
例えば光ちゃんの口から剛くんに関して言及された場合、大体においてそれらは剛くんに絡め取られる。
ネタ、とは、大体において幾分バカにされるようなニュアンスを含むものである。
それが我慢ならない剛くんは自分の話がネタになっていることを察知するや否や、
「そうそう、それでな…」とその話を上手に自分に引き継ぎ、
自らの口から語ることで「他人にネタにされる」ことを防いでしまうのである。
「自分でネタにする」ことと「他人にネタにされる」ことにはそりゃもう雲泥の差がある。
後者は自らの恥の暴露であるが、前者はその事柄が全く自分にとっての
ダメージで無いことのアピールになるのである。
ネタにされた場合すかざずボケを被せてそっちへ持ってゆく、などの措置を取ることもあるし、
「いや、お前のほうが」と切り替えして相手のネタに話をそらすといった技を使うこともしばしばある。
つまり、剛くんは人前で恥をかかされることが嫌いなのである。
対して光ちゃんはどうだろう。
これはもう言うまでも無いことだが、人前でネタにされるわされるわ。
ちょっとでも剛くんをネタに使おうものならすかさず光ちゃんは報復を受けるし、
その場のちょっとしたあやを拾われてぶすりと揶揄の対象になることなどしばしばである。
しかし、光ちゃん嫌がらない。
黙ってそのネタを聞き届け、人事のように笑う。
また、聞くだけ聞いてわりと落ち込む。
剛くんのように「いや、」という否定語で遮ることなど皆無。
つまり、光ちゃんは揶揄の対象になることがへっちゃらなのである。
ちょっと楽しそうですらある。
これはSには最もありえない性質といっても過言ではない。
(あたし絶対ヤダもんね。)
次に、『基本ポジションは突っ込み』について。
これはもう言うまでもない。
(天然)ボケ→光ちゃん
突っ込み→剛くん
という構図はファンならずとも解り切ったものである。
ただ、剛くんはボケる気になればちゃんと上手にボケる。
Sは器用なのだ。
ただ、ココで言いたいのは立場としてのボケと突っ込みではなく、
日常会話での「間違うほう」と「正すほう」だと理解してくれたほうが正確である。
さらに「場を把握する」について
堂本兄弟では進行役を光ちゃんが勤めているが、それは「意図的なボケ」が出来る
剛くんを自由にしておいて場を面白くするという番組制作上の意図があると思われる。
そもそも、光ちゃんは司会進行という役割を任されていながら全然場を把握していない。
時に話の脈絡を無視しさえする。
話の流れの中に自分の知らない単語が出てくりゃ何も考えず聞く。
話の途中で何か思い出せばとりあえず話す。
それを、場の空気を抑えつつ突っ込み、上手に嗜め、面白く導くことが剛くんの役目なのである。
どう考えても剛くんのほうがその場を把握している。
そのへんは剛くんの繊細さと光ちゃんの鷹揚さも関係していることだろう。
では、なぜ二人は自らを逆に認識しているのか。
それはそれぞれに「S願望」「M願望」があるからであろう。
剛くんのM願望についてこれは比較的解りやすい。
剛くんが求めるのは「被虐」ではなく、「庇護下に置かれる」ことなのである。
母親が大好きである、年上の女性が好みであるとの発言からも伺えるが、
剛くんは相手に全て任せて肩の荷を降ろしたい願望があるのではなかろうか。
自らの意志を放棄し、自身を全て委ね、庇護して欲しいのである。
それに付随する『多少の叱責や制約があっても構わない』という思いを
「被虐思考」と混同しているのである。
しかし、「叱責や制約」はあくまで『庇護』を前提としてなされるものであり、
到底虐げられることと同義ではない。
マゾヒズムとは、肉体的、あるいは精神的に『虐げられる』行為を通して快楽を得ることが出来る
嗜好を言うのであり、「叱責」が「虐げる」意味を持たないのならばそれは被虐嗜好とは呼べない。
つまり、剛くんが自らをMであると主張するのは「庇護願望」と「被虐嗜好」との
混同から来ていると思うのである。
光ちゃんのS願望について。
これはもう「S願望」と呼べるかどうかさえ怪しい。
思うに、光ちゃんは自分が何かキツい言葉を言うことで周りから非難されるのが楽しいのである。
証拠に、光ちゃんは「Sだ」と言われるような何らかの発言の後必ず誰かに突っ込まれる、非難される、
若しくは叩かれている。
光ちゃんはあまのじゃくな「構ってさん」なのである。
まぁ、自らが直接手を下さない場合、苦しんでる人を楽しそうに見てることなんかもあるので
そのへんはちょっとしたSっ気なんだろう。(激辛道場とか)
上記の理由から、私はKinKiKidsの嗜好を
光一→M
剛→S
と見ているのですが、どうでしょう。
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突っ込み禁止です。
良いお年を。
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